もこばと子育て

もこば こと、ロング朋子について

もこばのこれまでのあゆみ

なぜおててサインを始めるようになったか・・・

その1 はじめに・・・

「もこば」こと、ロング朋子です。

こんにちは、ロング朋子です。

「もこば」 ってなんだか落語家にでもいそうな名前ですよね。10年前に生まれた私の姪が、「ともこおばちゃん」と呼ぶのは大変だろうから、短くして「もこばちゃん」って呼んでくれればいいわ、って言ったのがはじまりです。7年前に今の「おててサイン」の前身となる「イングリッシュ・ベビーサイン」のクラスを始めた時、ベビーちゃんたちをママと一緒に見守っていく「おばちゃん」になるぞ!と決心し、毎週通ってきてくれるみんなにも「もこばちゃん」って呼んでね、とお願いしました。
最初は、先生なのに「ちゃん」付け?って戸惑っていたママ達も、最近では当たり前のように「もこばちゃん」って呼んでくれます。歩けないくらい小さいベビーちゃんだった最初の生徒さんたちも、みんな小学生。
毎週会っているのに、なんだかちょっと大人びた顔して“Hello”なんていわれると、私が一人で「成長したわね〜」なんてしみじみしちゃったりします。

7年前に細々と、でも大きな夢をもって楽しんで始めたベビーちゃんとのおててサインクラス。今では、いろんなところに一緒におててサインを楽しむ仲間が出てきているのが、本当にうれしいです。

講演会やワークショップなどの機会も思いのほかいっぱい!与えていただいて、たくさんのママやベビーちゃんにお会いすることが出来て感謝ですが、反面、一度きりしかお会いできないかも・・・と思うと寂しく、残念な気持ちもします。
それに、ワークショップなどでは、おててサインの話や英語子育ての話ばかりで、「もこばちゃん」についてはあまりお話しする機会がありません。

それならば、せっかくHPという便利なものがあるのだから、どうして、それからどのようにして、私「もこば」がおててサインと生活するようになったのか、ここで皆さんに知っていただけたらな、と思います。

もともとは、「イングリッシュ・ベビーサイン」と呼んでいた赤ちゃんとのサインですが、名前を変える経緯等をお話しするところを除いては、今皆さんに知っていただいている「おててサイン」という呼び名で統一したほうが分かりやすいかな〜(文字数も少ないですし!)と思うので、そうさせて下さいね。

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その2 アメリカで・・・

おててサインの「もこばちゃん」になる前:アメリカ編。

 私の本名(ペンネームじゃないんですよ)ロング朋子 という名前からお分かりになるとおり、私のオットはアメリカ人です。お仕事では、私に対抗して(!)ネイソンおじさん(またはUncle Nathan)と呼んでもらっているようです。二人の出会いですが、「留学中に出会って結婚・・・・日本に帰国して二人で・・・云々」というのを想像なさる方が殆どのようですが、実は私たちは幼馴染なんですよ。 
見た目も国籍もアメリカ人のネイソンおじさんですが、実は日本生まれの日本育ち。仕事以外でのペンネームは「長井さん」。仮面ライダーは、やっぱり初代が好き!という、バリバリの昭和ボーイです。

さて、もこばに話を戻して・・・・
私は、音楽大学を卒業しましたが、在学中に音楽療法に興味を持ち、そのころまだ資格というものが存在していなかったおかげ(?)で、大した肩書もないのに、大学病院を含めいろいろな場所で研修やお仕事をさせていただく機会をいただきました。
そのころ、日本では音楽療法を勉強できる学校などがなかった為、大学病院等で勉強させていただきながら会社に勤めて貯金し、学校のあるアメリカへ社会人留学することに。
やる気はあったのですが、一つ大きな問題が。

「英語が出来ない・・・」(本当です!)

なにせ、英語は私の一番の苦手科目。高校のときなど、授業が全く理解できず、居眠りばかりするので、先生が「一番前であんまり寝るな」と、こっそり飴玉を手に握らせてくれたほど。(ちょっと昔の先生は、今の先生に比べて人間的に面白い人が多かったんじゃないかと思うけれど、どうかな?)

私はクリスチャンなので、教会やキャンパスクルセードという大学生の集まりなど、英語に触れる機会はあったのですが、なにせ苦手だし好きじゃないし・・・アメリカで生きていけるの?って、私だけではなくみんなにも心配されました。

ちょっと話はずれるけれど、みなさんは自分が持っている才能の中で、ずば抜けているとは言わないまでも、少しだけぺこっと飛び出ているかも?!って思うものは何ですか? 
私は、「人」
私の人生、これなしでは成り立っていないと断言できるほど、私の才能は“まわりに才能のある人が常にいてくれること”なんです。それも、人格者の周りにすごい人がいるのは当たり前だけど、もこばのようなものの回りにいるわけだから、これは神様が下さった才能以外の何物でもないと思っています。

さて、英語力のこと。みんなに心配された私の英語ですが、私の才能のおかげで(?)留学前にも留学先でも、喜んで助けてくれる友人や、すばらしい英語の先生達(後で聞くと、かなりレベルの高い先生達で、その世界では有名な方たちだったそうです)に出会って、どうにか大学に学士入学(大学を一度卒業していると、違う専門に3年生から編入できるシステムです)できるレベルにまで引き上げることができました。
とにかくその時には、こんなに人生勉強したことがない、と誇りを持ったほど(後からもっともっと勉強することになるとは露知らず)一日中勉強しました。

英語そのものが好きでなくても、目標があれば頑張れるものなんですね。

結局、数年間だけ留学する予定だったアメリカで、大学、大学院、就職、結婚、出産、と予定外の経験をして10年後日本に戻ってくるまで、沢山の経験をすることが出来ました。
大学へは心理学で学士入学、その後音楽で修士号を頂いた後、大学に残って講師になり、仕事をしながら、多いときには年100ステージほどの演奏活動をこなしていました。おまけに自分でもあきれてしまうのですが、勉強を始めた心理学も続けたくて、同時にカウンセリングの博士課程に在籍し、勉強も続けました。
アメリカってすごいな〜っておもうのですが、なにせ学生の間は奨学金を頂いていたので、学費は無料、生活費までもらえるし、奨学生だというので仕事にも困らない。もちろん、この奨学金は返済する必要がないんだけど、心のどこかで、いつかアメリカに恩返ししなくちゃ、って気持ちがあります。

頑張ったけど、生活としてはかなり無茶。今考えると、若かったな〜の一言ですね(笑) それに、勉強したことが今の仕事には殆ど生かせてないし。でも、直接はおててサインと関係ないことだけど、一生懸命やってある程度の結果を残せた、ということは、今でも励みになっています。ただ、正直、肩書きの無意味な部分も感じちゃったかな、なんて思ったりもするけれどね! 

社会人留学生になって、確信を持ったこと。
やりたい、勉強してみたい、と思ったときが、ほんとうの学びどき。

だから、大人になってから、それぞれの環境の中でおててサインに出会って、講師になりたい!と思った人たちと一緒におててサインに関わっていけることは、私にとって本当に喜びです。
英語が得意なので・・・といってEBS協会にいらっしゃる人より、「実は好きだけど苦手意識があって・・・・」っていう人のほうが多いんですよ。 優秀な講師を育てる為に、英語に少しでも関わるのだったら、講習前にレベルテストなどをしたほうがいいんじゃない?って、親切にアドバイスを下さった方もいらしたけれど、私自身が英語が苦手だったこともあって、始める前からレベルチェックして、「やりたい!」って気持ちを受け止められない状況を作ることは、とてもできません。

もこば流儀で、「やりたい!」んだったらやりましょうよ、って言っちゃいます。
英語だけじゃありません。講師になるには、他にも努力することが沢山出てくるはず。でも、出来ない自分が一生懸命頑張る、その経験が、子育てや介護やいろんな形で頑張っている人を本気で応援したい、という気持ちにつながるんだったら、「出来ないことがある自分」がどんなに大切な存在か分かるでしょう?
だから、出来ないことがある自分に感謝しながら、一緒に頑張れたらいいな〜って。

実は、私は生来の怠け者。ただ好奇心とチャレンジ精神は旺盛。旺盛な好奇心とチャレンジ精神に、怠け者のもこばがずるずると引きずられているのが、今の私。 出来ないことも(やりたくないことも)いっぱいあるけれど、それもすべてひっくるめて一緒にいてくれる仲間がいるから、怠け者のもこばでもどうにかお仕事できてるんだな、と思います。

だから、今の自分のレベルはさておいて、「やりたい!」んだったら是非ご一緒にやりましょう。
出来ない自分をひきずりながら、周りの人に感謝しつつ、たくさんのことを学びながら(ときどき学ぶのって大変〜って愚痴りつつ)、毎日過ごせる自分に会えるかも!

さて、そんなことを思う私の基礎を築いてくれた10年間のアメリカ生活にピリオドを打って、やっと7年前、家族で日本に帰ってきました。

帰国後にアメリカ生活を思い出して作ったページ(ハニービーイングリッシュHP)です。
クリックすると開くので、よかったら見てみてくださいね。


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その3 帰国後は・・・

おててサインの「もこばちゃん」になるまで: 日本編

 アメリカに行く前は、私もネイソンおじさんも所沢というところに住んでいたので、帰国してからは同じ沿線の、(どうにか東京都に入っている)東久留米市というところに住んでいます。

日本での初主婦体験&子育ては結構大変で、まわりのママたちが「当然」知っていることを全く知らない自分に愕然としました。
ATMの使い方や、子供の検診のことも全くわからず、勉強しようと子育ての雑誌を買ってみたら、「公園デビューの心得」や「天才児の育て方」などの記事がずらり。

雑誌に載っているような子育ては、私の目指している子育てとはずいぶん違うようだと思ったし、だったら、英語やアメリカで出会ったおててで赤ちゃんとコミュニケーションをとる方法を通して、一緒に子育てして言ってくれる仲間を見つけようと決心。

ただ、アメリカでみた動きは、手話を基にしていたために、そのままでは動きが難しかったり、日本の文化にしっくりこなかったりしたので、赤ちゃんの手の動きや日本にもともとあるものを取り入れたりして、独自の赤ちゃん向けサインが入ったものにしました。

まずは自宅で週1クラスだけひらいてみることにしました。 
そのころはどこを探しても赤ちゃん向けサインの継続クラスはなく、ちょっと心細かったけれど、一緒に子育てにかかわりあっていくためには絶対に毎週のクラスを続けるぞ〜!と決心して、なけなしのお金を集めた資本金(?)3万円でクラスの準備をしました。

パソコンはあったので、3万円で中古のプリンターと紙、英語の絵本とカーペットを購入し、体験&説明会用の会場を借りました。
とりあえず、夜もほとんど寝ずに1年間分の英語話しかけテキストを作り、チラシを200枚ほど刷りました。
来たばかりの時にはネイソンおじさんの仕事がなかったので、私が外で仕事をしていました。週3〜4日は朝6時半に家を出て、8時前から英語を教え始め、夜は11時前に仕事を終えていました。

アメリカで会社員をしていたネイソンおじさんは、(みなさんの「アットホームなアメリカ人のだんな様」の期待を裏切るようで申し訳ないのですけれど)電子レンジの使いかたも洗濯機の使い方も分からず、昼間は1歳半の娘の面倒をみる羽目になったのだから、大変!

洗濯物はシワシワのまま干してあるし、お風呂に入るのも一苦労。毎日私以上に疲れていたけれど、その経験が現在のSonshine Kids (もこばちゃんとこの英語プリスクール)での先生という仕事にとても役立っているそう。人生って分からないものですよね。だから、その時々に与えられたチャンスを良い経験にしていけると素敵だな〜って思います。

さて、私が教えていた朝8時前の英語のクラスというのは、出勤前のサラリーマンを対象にしていたのですが、いわゆる水商売をしている女の子達も沢山参加していました。さんざんお酒を飲んで朝まで起きていたその足で、勉強をしに来ていたんですね。ちょっとくらい大変だなと思うことがあっても、あんなに頑張っている人が沢山いるのだから、私も頑張ろうって思えます。

さてさて、おててサインクラスを始める話。用意していた3万円の資本はあっという間に消えて、あとはチラシを配るのみ。これでクラスが始められなければ、3万円が無駄になります。だから、1歳の娘を連れてあちこちでくばりました。殆どの人は無視するか、私がチラシをもっているのをみて、「近くを通ったら声をかけられそうだわ・・・」って感じに、遠回りに避けてとおるか・・・。たまにですけれど、「あたらしく英語を取り入れたあかちゃんとのコミュニケーションクラスをするので、体験にいらしてくださいね」という私の声を聞いて、わざわざ「ください〜」っていらしてくださった方も。そんなときはとても嬉しかったです。

娘が一緒だったせいか、宗教の勧誘と間違えられたりもしましたけれど、ずっと「この人がきてくれるかな?この赤ちゃんとまた会えるかな?」とワクワクしながらチラシを配りました。 そういえば、よく駅前などでティッシュやちらしを配っている人がいらっしゃいますよね? それまでは、結構無表情に手をあげて「いいです」って感じで通り過ぎていたんですが、自分でちらし配りをしていると、なんだかあまり邪険に断れなくなってしまいました。一緒に歩いている友人に「あなた、いやに丁寧に断るのね」って言われたことも(笑)。

さて、時間を見つけてはチラシを配って、いよいよ体験の当日。 借りていた会場(カーペットが敷いてあるきれいな会議室でした)のまんなかに敷物を敷き、端っこによせたテーブルへお茶の用意。娘がサインしている写真や、おててサインについての説明、私のプロフィールを書いた紙やテキスト、おもちゃも用意して、ドキドキしながら参加してくださる方を待ちました。11組の方が来てくださったのですが、もう嬉しくて嬉しくて。
娘も興奮状態の母に驚いたのか、静かに体験に参加してくれました。
年齢的にちょっと大きなお子さんもいらしたので、サインのクラスを1組、英語あそびのグループを1組作って、2週間後から自宅で教室を始めました。
もこばちゃんの最初のおててサインクラスの誕生でした。

本を出版したときのモデルちゃんたちは、このクラスの子供たちなんですよ。

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その4 おててサイン

もこばちゃん、なぜおててサインをお仕事にしたのか編

 アメリカから帰国したとき、ネイソンおじさんにも私にも仕事がなかったので、一番大切だったのが仕事探し。
ネイソンおじさんはサラリーマンの仕事を探していたので、私は当然主婦で1歳児の子育てをしながら家で仕事をしようと。
今までのことを考えると、自宅ですぐできるのはピアノの先生。英語でピアノのレッスンやリトミックをするわよ、って宣伝したら、生徒さんはいらっしゃるような気もしたけれど、心から楽しんで子供たちに接することが出来るかどうか、そのときにはあまり自信がなくて。
なんていったって、アメリカでの私の生徒達は大学生。リトミックなどのカリキュラム作りはやったけれど、日本語が母国語の子供たちに英語でどこまで指示が出来るのかしら?なんて考え始めると、ちょっと大きな課題がありすぎるような気がしました。

それだったら、アメリカで大好きだったスクラップブッキング(最近は御存知の方も多いけれど、当時はまだ日本には入ってきていませんでした)がいいかな?と思い、日本での販売権利等を入手する方法も考えたのですが、やっぱり単価が高くなりすぎるし、結局はモノが売れないと収入につながらないので売ることばかりを考えてしまうかな?なんて懸念が出てきてしまって断念しました。

そんな時、娘におててサインを使って話していて「あれ?」って思ったんです。これなら、私が本当に嬉しかった気持ちをママ達に経験してもらえるし、親子の絆も深まる。他の人の視線ばかり気にする子育てじゃなくて、ママが一人の人間としての赤ちゃんに向き合っていく為にお互い励ましあっていくことも出来る。それに、英語での話しかけをすることによって、将来子供たちが本当に興味を持つものが出てきたときに、英語という手段を私たちの世代とは違ったレベルで使いこなして、広がった世界を体験できるんじゃないかしら?って。

子連れでクラスが出来るのかどうかもわからなかったけれど、もうおててサインのクラスをやってみたい!と思ったら、「やりたい、やりたい」の気持ちばかり。
時間を見つけては、サインの動きをまとめたり、英語を書き出してみたり。
夜寝れないのがつらかったけれど、やりたいことが多い私の人生は睡眠不足との戦いだ〜!なんて割りきって(40代になってからはちゃんと寝てますよ、御心配なく!)、パソコンをたたいていました。

しばらくすると、やりたいことが形に見えてきました。テキストをまとめたら本にして出版してもらえないかしら? 経験を積んだら、おててサインを仕事にしてみたいと思っている人たちに講座が出来ないかしら?知ってもらう為にホームページが作れないかしら?

早速やりたいことの優先順位と、それにかかる費用や時間を書き出し、目標をたてていきました。(これが、現在の講師たちが使っている開業プランマニュアルのもとになっています。)長女を妊娠したときに、7年近い不妊に悩んだ経験があったので、二人目の妊娠が全くの予定&予想外でしたけれど、私の最大の長所(人!)のおかげで少しずつ目標を達成させていただくことができました。

   

教室を開いたばかりの頃のホームページです。
あの頃はなれないパソコン操作に悪戦苦闘で、ホームページも一生懸命作っていました(笑)


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その5 そして現在・・・

もこばちゃんの今は?編

 夢の一つだったおてて講師の育成もしているEBS協会は、ちいさな集まりです。 EBS協会という小さい協会に、おててサインや子育て感に共感して参加し、一緒に活動してくれているおてて講師やスタッフは、私の宝物です。本当に損得勘定では活動できないことばかりしていますが、少しずつでも、同じ思いや夢を持って過ごす仲間が与えられていくといいね、ってみんなで話しています。

おてて大学(おてて講師育成講座のニックネーム)の講習で最初にお話しすることに、「凸と凹」があります。
私たちは人間ですから、みんなそれぞれデコなところとボコなところ(体型じゃないですよ〜)があるはず。
もちろん、協会では「代表」なんて肩書きのもこばも、ボス(?)をさせていただいているだけあって、デコボコ度合いもかなりのもの。まわりのママ達やスタッフには負けてはいません。

大人になるまでは、そんな自分の凹が本当にイヤで、凹を埋めることばかり考えて頑張ったような気がします。でも、凹って努力で埋められるようなものじゃないから凹なんですよね。 それに一つや二つならともかく、たくさんの凹がある限り、やっぱり人間の努力で凹埋めしていくのは不可能なんじゃないかしら。
だったら、周りの人に凹を埋めてもらうしかない!! みんな私の凹を埋めてね。その分、ちょっぴり出っ張った私の凸で、みなさんの凹を埋めるお手伝いをさせて!

おてて大学の講習に来たのに、いったい??って講習生たちはびっくりするみたいですけれど、この話、私にとってはとても大事なんです。

凸も凹も、なかなか人からは見えない。長年一緒に多くの時間を過ごした友人ならともかく、おてて大学の講習で顔合わせしたくらいじゃ、なかなか分からないんです。
特に日本には「謙遜は美徳」だとする考えがあって、みんな凸が何なのか自分からは話さない。中には自分には凸がない、って思っている人もいるようです。

だから、ずっと一緒に過ごしているわけではない講習生のみなさんには、自分から凸や凹をアピールしていただかないと。将来一緒にママやベビーちゃんたちをサポートしていくわけですから、お互い自分の凸で相手の凹を埋めていく、ということを理解し、行動に移していってほしいな、って。
そうすることによってのみ感じる感謝や、喜びも一緒に体験していっていただければ、本当にうれしいです。

ちょっと話がずれてしまいますけれど、謙遜とはなんでしょう? 大辞林には「自分の能力・価値などを低く評価すること。」と書いてあります。大人として生活していくうえで、謙遜することによって人間関係がスムーズに動く、という事を私たちたちは学んできているのではないでしょうか。 
でも、自分の能力や価値を低く評価することによって、その能力や価値が生かされないとしたら、本当にもったいないことです。

能力を生かすというのは、自分の利得のためだけにその能力を使うことではなく、他の人たちのためにも喜んでその能力を活用させることなんじゃないかしら? だったら、EBS協会では、「出来る」ことは「出来る」と言うことによって、一人ひとりがその能力を生かしてほしい。凸はしっかり凸だって、分かるように見せてほしい。その代わり凹も恥ずかしがって隠したりせず、「凹だから、助けて〜!」っていうことによって、仲間の凸でしっかり埋めてもらう、っていう風に出来たらいいなぁと思っています。

いままで、人間関係をスムーズにする為に無意識に学んできたことを、意識的に変えるわけですから、心を覗くとちょっと怖がっている自分が見ることになるかもしれません。
出来ないことを出来ない、といえる。 出来ることを出来ると言う。 こんな簡単に見えることが難しいなんて、人間って面白いものですね。

怖がってしまう理由の一つに、凸を凸だというと「自慢している」 のだと思われるかも!という事があるでしょう。 でも、もしEBS協会に属する一人ひとりが、きちんと自分の能力を見極め、出来ることは出来る、出来ないことは出来ない、とお互い助け合うために(ここがポイント!お互い助け合うために、です)伝えていくならば(是非そうしていただきたいのですが)、それが自慢ではないことはお互い理解できるのではないかしら?

それに、どんな凸でも、その人自身の努力だけでは凸になりえない(生まれてくる家庭環境や、出会う人たち、持って生まれた能力などは自分では選べませんから)わけですから、「出来る事」を自慢するなんて不毛なこと。 同じように努力してもどうしようもない凹があることを、みんなに迷惑だと思って申し訳なく思うのも、つまらないこと。

もしみなさんに、ちょっと人より凸っと飛び出ている能力があっても、自分のためだけにそれを使っているのなら、それは寂しい人生です。 
与えられた能力を、与えられたチャンスの中で、周りの人たちから助けてもらえながら生かしていくことができるときに、そのちからを「長所」と呼ぶのではないかと思います。

そんな「長所」はみんなにあるはず。 それをみんなで持ち寄って一緒に子供たちの成長のために、未来のために、なにかしていこうよ!っていうのがEBS協会。
「おててサイン」をいろいろな手段の中心にして、一人ひとりが自分の凸と凹を認めて助け合っていく、そんな仲間になれるといいな。

同じ思いを持っている仲間と一緒に活動できて、もこばの「今」はとってもシアワセな「今」です。

これからも沢山のママや子育てにかかわる多くの人たちと一緒に活動していくこと。
これが、もこばのこれからの目標です。

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